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昨秋は例年になく紅葉がきれいで、各地のもみじの名所も人出が多かった。
私も全く突然の思いつきで、子供のころに住んだ犬山の寂光院本堂へ、妻と一緒に参詣と紅葉狩りに出掛けた。
名鉄犬山遊園駅から木曽川左岸の道を上流に1.5キロほど、坂道や階段を90メートルくらい登れば寂光院の本堂である。電車を降りて徒歩で往復するのには適当な道程であった。
本堂からは燃えるような紅葉を通して、清流を行くライン下りの船や、岐阜金華山や、遠くのパノラマを眺め、往復の道々では母校の校歌の一節「朝風清く吹き渡る、お城の松の深緑」「夕焼け赤く映しゆく木曽の流れの…」を、自然に口ずさんでいた。立ち止まってスケッチをしたり、写真を撮ったりもした。
少年のころに泳いだこと、よく写生をしに来たことなども、いつになく口数多く妻に語り掛けたりして、実にゆったりとした、しかも満たされた半日を偶然にも体験することができた。
最近、新聞に夏目漱石の小説が連載されていて、時々読むことがある。学生のころには何の違和感もなく読めたのが、今では、例えば「三四郎」の生活テンポはまるでゆっくりしたものに感じられてしまうのに驚いている。自分の生活がこの何十年の間に、せせこましく複雑なものに変化してしまったことになる。事実、日々の出来事は目まぐるしく変わっていくし、何が本当なのか全く分からない時代になってしまっていて、自分はいつも時代遅れの感覚で、不安と一緒に暮らしているような毎日である。
しかしどんなに時代の流れが速くて、回り方が急であっても、いつも普遍で本当のものはあるはずだ。それを探し求めるため、逆に迷わないためにも、時々はゆったりとした心の故郷に帰って、自分も社会も、渦の外から眺めて考え直すことがますます必要で、大事なことになってくるように思われる。 |
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