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山田 義夫(西部営業基地)
名古屋市内の地名に興味をもってから30年になる。そのころ郡部から西区に移り住んだ。近所を散歩するたび、個性的な町名に出会うのである。
今の城西あたりに鷹匠町というのがあった。江戸時代には、鷹狩りの訓練士が住みついていたらしい。その隣りが台所町。お城の料理担当者のエリアだろうと見当をつけた。
なにやらゆかしさを感じる。いろんな地名の由来が知りたくなった。で、休日は図書館通いが習慣となった。もともと歴史好きだから、つい力が入るのである。
先の西区の町名はすでにないが、東区には興味深い名称が今も多い。主税町(ちからまち)、代官町、百人町、そのものずばりの徳川町もある。首をかしげるまでもない。尾張徳川家の下屋敷があったからである。藩主ゆかりの地名なら、紋どころにちなんだ葵もそうだ。隣りの布池は藩主義直の母の逝去に由来する。当時は大きな池があって、葬儀の際、近くの式場から池まで布を敷きつめた。それで布池。
昔ながらの町名は呼び方にもクセがある。泥江(ひじえ)町、水主町(かこまち)など知らないと会話にならない。
先日も若い同僚が大いに困惑したとこぼしていた。お客さまから「シュモクチョーまで」といわれたそうだ。名古屋に来て日が浅いため撞木町を知らなかったのである。
まあ、現存の町名なら覚えていけば業務に差し支えはない。ところがお年寄りのお客さまで、はるか昔の名前をおっしゃる方もいる。以前、お乗せしたご老人は「トネリチョー」と告げられた。舎人町は昭和51年に町名が変更されて今は東区泉3丁目となっている。知識がないとどこへ向かっていいやら見当もつかなくなる。
このときも図書館通いが役立った。お客さまは相好をくずして、かつて名古屋芸妓の置屋でにぎわった町内の様子を語ってくれた。新しい町名には、合理的な面ももちろんある。ところが実をいうと、タクシー業務では閉口することも多いのである。一口に栄といっても1から順に5丁目まで並んでいる。広すぎて、逐一お客さまに聞き直さないといけない。その点、昔の町名なら的確に目的地をめざせるのである。
なにより町名をきっかけに、お客さまと話題がはずむのが楽しい。最近では古地図を広げ周辺の街道筋を調べている。その知識を2年後に生かそうとひそかに企んでいるのだ。万博目当てに、名古屋は初めてのお客さまが増えるはずだから。 |
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