この記事は2003年9月のものです。現在の内容と異なる場合がありますのでご了承ください。

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「名タクさんは電話をすると、すぐ来てくれます」
聞き手(名鉄交通社長)
村瀬薫久

 舞台に、ドラマに、エネルギッシュな活動を続ける女優の星由里子さん。7月には名古屋の名鉄ホールで、亡き夫である劇作家花登筐(はなとこばと)さんの代表作「じゅんさいはん」を主演、好評のうちに千秋楽を迎えた。公演の合間にはわが社の配車センターを見学され、注文電話の多さに目を丸くされるシーンも。


村瀬 我々の世代にとって星さんは銀幕のスターで、ちょっと澄ましたようなイメージがあったんですね。ところが先日、舞台を拝見しまして、全然違うんだなと。親しみがあって。女房も同じことを言っていましたよ。「いい芝居だったね」と。
 ありがとうございます。女性の意見は強いですからね。女性に喜んでいただかないと、男性もウンと言わない。(笑い)
村瀬 一番驚いたのは、あれだけ長い舞台で、動きが20代の娘のようにしなやかだったこと。
 うれしいですね。地唄舞をやったりしたことで、動きが身についているのかもしれませんね。
村瀬 たくさんの人間を束ねる座長の立場は、大変じゃないですか。
 皆さんが支えてくださるので、それに乗って。花登が亡くなって20年なんですけど、作品を引き継いでいけることの幸せを感じています。
村瀬 花登先生は6000本くらい書いておられるんでしょ。ああいう天才の方と一緒に住むのは、大変じゃありませんでしたか。
 努力家で、寝ずに書いたりしていましたのでね。ペンを止まらせないような環境を作るのが、家族の仕事なんですよ。楽しんでたんじゃないですかね、本人は。ただ無から生み出す苦しみは、目の当たりに見ておりました。


村瀬 今回は私どもの配車センターをご覧いただきまして、ありがとうございます。いかがでしたか。
 私は名古屋に参りますと、名タクさんに乗せていただいてるんですね。電話すると、すぐ来てくださるので。でも配車センターがどんなところか、想像もつかなかったんですよ。注文の電話がひっきりなしじゃないですか。それも全部、ちゃんと受け答えなさって。ビックリしました。セリフ覚えるより、よっぽど大変だなと。(笑)
村瀬 お客さまとの対話が原点ですからね。
 本当にそうですね。舞台も一緒です。お客さまあっての商売は、どれも同じでしょうね。
村瀬 タクシーにお乗りになって、これまでに印象に残るようなご経験はありますか。
 思いがけない出会いがあったんですよ、東京で。運転手さんに「星さん、僕を覚えていますか」と言われて、「えーっ?」。昔、映写技師をなさってたんですって。で、私のフイルムをちょっと切って現像して、よくもうけさせてもらいましたって。映写技術が変わったから需要が少なくなって、運転手さんをなさっているんですよ。
村瀬 ほお。向うの人は星さんをよくご存知でしょうけど、星さんは初対面だったわけでしょ。
 そうなんですよ。「覚えてますか」と言われてもね(笑)。でも何となく懐かしかったですね。


村瀬 タクシーでは、よく運転手とお話しなさるほうですか。
 そうですね。車の中は、一つの部屋ですからね。やはり目的地まで、楽しく行きたいと。思いがけず仕事のことを忘れて、楽しむことがありますと、うれしいですね。
村瀬 タクシーは別世界ですから、開放されるんでしょうね。街を歩くと、人目が気になることもあるでしょうけど。
 そうですね。「いつもお若いですね」と言われて、「お上手ですね」なんてこともありました。免許証をタクシーに忘れて、届けていただいたことがあるんですよ。「星さん、このお年でしたか」と言われて、「キャア!」と。(笑)


村瀬 星さんが映画で活躍なさったころは、銀幕のスターがたくさんいましたね。
 あのころは時代がよかったと思うんです。映画が2本立てで。
村瀬 もう少し前は、3本立てでしたよ(笑)。最初は“シンデレラ娘”に当選なさったのがきっかけだそうで。これは初めから、映画に出るということだったんですか?
 いえいえ。兵庫県の宝塚に3泊4日で見学に行って、スターさんに会えるという。
村瀬 それが賞品?
 はい。それで昼間あいてたもんですから、撮影所の見学をしたんですよ。そのとき、東宝のプロデューサーさんからお話があって。まだ15歳で、八重歯があったんですよ。
村瀬 なるほど。
 “シンデレラ娘”のときの審査委員長が、菊田一夫先生だったんですけど、今年、菊田一夫賞をいただきまして。やっと先生にご恩返しができたんですよ。
村瀬 俳優さんの勲章でしょうね。お年を重ねるごとに、舞台が楽しいとおっしゃってますね。
 難しさは背中合わせにあるんですけど、楽しくやれるようになってきましたね。それがお客さまに通じて、またこっちが楽しめる。キャッチボールなんですよ。
村瀬 今までの作品で、印象に残るものというと何ですか。
 たくさんあるんですけどね。新藤兼人監督が2年前、「午後の遺言状」で、初めて舞台を演出されたんですよ。私は監督の奥さまの、乙羽信子さんの役をいただいて。細かいことはおっしゃらないんですけど、先生の魔法にかかっていくんですね。当時、89歳だったんですけど、だれよりもお元気で、そういうことも勉強になって。舞台を楽しむようになったのは、そのころからですね


村瀬 あれだけの舞台をこなすのは、大変なエネルギーでしょう。よくお食べになるんでしょうね。
 そうですね。お腹が減ると脂汗が出て、セリフが出てこないので(笑い)。朝はお肉をいただきます。お昼は30分休憩に着替えて、うがいをして、食事を5分で食べるの。
村瀬 ゆっくり味わう暇もないですね。
 でも満腹すると、お仕事したくなくなっちゃうので(笑い)。私はね、毎日でもいいくらい、きしめんが好きなんですよ。付いてる人がうんざりしますよ。「またか」と。(笑い)
村瀬 名古屋は、赤みそも名物ですよ。みそ煮込みうどんはどうですか。
 ちょっと苦手かもしれない(笑い)。名古屋は鶏がおいしいですね。夜は毎晩のように鶏。鍋もいいですし、唐揚げも、手羽先も大好きですよ。
村瀬 お家でお料理などはなさるんですか。
 しません。母が上手なんで。母が作らないスパゲティと、おみそ汁、野菜炒めだけは、息子のリクエストがあれば作るんですけどね。あまり言わないんです。(笑い)
村瀬 今日は楽しいお話しをありがとうございました。


ほし・ゆりこ
本名・清水由里子。1943年12月6日生まれ、東京出身。精華学園高校卒業。58年、東宝宝塚劇場の“シンデレラ娘”に当選し、翌年「すずかけの散歩道」でデビュー。加山雄三の「若大将シリーズ」の恋人役ほか、主演作も多く、東宝の看板女優に。67年の「千曲川絶唱」でお嬢さん女優から脱皮、演技の幅を広げる。テレビは「風と雲と虹と」「ぬかるみの女」「あぐり」など。近年は舞台での活躍が中心。75年、花登筐と結婚、83年死別。

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