この記事は2004年3月のものです。現在の内容と異なる場合がありますのでご了承ください。
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| 「運転手さんに声をかけられると、うれしいですね」 | 名鉄交通・村瀬社長 |
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長寿テレビ番組「突撃! 隣の晩ごはん」などでおなじみの落語家・ヨネスケさん(55)。落語家としてはもちろん、野球をはじめスポーツ全般や映画などで幅広い知識をたくわえ、多彩なジャンルでご活躍中です。持ち前の庶民的な雰囲気とサービス精神で、対談は爆笑の連続でした。さすが。 村瀬 テレビの「隣の晩ごはん」、17年続くのは大変なことですね。 ヨネスケ 日本の家庭を2500軒くらい見てますからね。ギネスに載ってもいいんじゃないかと(笑)。それも普通はよその家に行くとき、飯どきを避けるでしょ。飯どきを狙うのは僕ぐらい(笑)。愛知県も知多半島の方まで行ってますよ。 村瀬 あれは本当に突撃なんですか。台本も前打ち合わせもなく…。 ヨネスケ ない。だから毎回嫌ですね、入る前は。ロケバスの中でタバコ吸って、「ここで地震が来たらやらなくてすむ」とかね。でも終わった後は「よかったな」って。 村瀬 断られるときもあるんですか。 ヨネスケ ありますよ。田園調布なんて36軒断られましたからね。京都も難しい。面白いのはね、尼ケ崎。地震で新しい家建てたらね。性格が皆、上品になった。家が変わると人間が変わるんですよ。 村瀬 門構えを見れば人間が分かりますね。 ヨネスケ 町が息してるか、してないかですね。路地にネコが寝てる。子どもが遊んでいる。おばあちゃんが立ち話してる。そういう町は息している。だから地方都市行くと市役所の観光課で、「古くからの町並み、ありませんか」と聞くんです。 村瀬 景色と一緒に、日本の文化が残っているんですね。あれを見ていると、一家団欒のホンワカムードがあるんです。日本人の夢なんですよ。 ヨネスケ 僕はね、片親で育ったもんですからね。本当の家庭恋しさというのがあって。だから番組が成功したのかもしれないですね。 村瀬 落語の世界は、入門希望者がたくさんいるでしょ。でも師匠のようになるのはほんの一握りで、ほとんどが落語じゃなくて、落伍すると。(笑) ヨネスケ 今の子で、いきなり「給料いくらですか」と聞くヤツは、ほとんど続かない。僕らは夢をつかむ世界ですから、最初は金は関係ないんです。 村瀬 それはそうでしょうね。 ヨネスケ よく例えるんですけど、湖の向うに禁断の実がある。泳がずに周りを回って行ったら、実が腐ってしまう。泳いでいくしかないんですね。で、泳いでいるうちに「つらいな」と思ったヤツは、溺れ死んじゃうんです。「あれを食べたい」とずっと泳いでいるヤツは、着いて禁断の実を食べたときに、「そういえば泳いでいるとき苦しかったな」と、後で思う。禁断の実というのは夢なんですけどね。 村瀬 よく分かります。真打ちになるまでには、大変なご苦労があるんでしょうね。 ヨネスケ 苦労と思ったことはないですけどね。前座になって二つ目になって、全部で14、15年かからないと、真打ちになれないんですよ。前座修行なんて、刑務所に行ったのと同じですよ。師匠の家で内弟子すると。朝6時に起きて家の掃除。早メシ早グソで、師匠の衣装をかばんに入れて、靴磨いて、一緒に出かける。寄席とかいろんなとこ回って、帰るのが10時半ごろ。ご飯食べて、銭湯に行くと、11時半くらい。もう寝るだけです。その繰り返し。4年間で休みは2日でしたよ。 村瀬 やっぱり大変な世界ですねー。 ヨネスケ だけど楽しかったですよ。桂米丸が師匠ですけど、いまだに「ヨネスケ!」って電話が掛かってくる。「ヨネスケさん」って言ったときは、小言なんですよ(笑)。翌朝、どら焼とかようかん持って、「すいません」って。今でも親みたいなもので。だけど怖い人がいるっていうのは、いいことですね。今の世の中、怒る人が少なすぎるんですよ。上司も怒らなくなった。若いヤツに気に入られたいから。 村瀬 皆いい人になっちゃったんですね。無関心になって。 ヨネスケ そうなんです。だけど怒られて怒られて、覚えていくんですよ。怒られて辞めるようなヤツは、残してもしょうがないんです。 村瀬 お仕事柄、タクシーに乗られることは多いんでしょうね。 ヨネスケ 僕は、テレビ局に行くのも飲み屋に行くのも、全部タクシー。生放送がありますでしょ。渋滞しててもタクシーだったら、「止めて」と言って、電車に乗ることもできますから。それにお酒を飲んでもタクシーに乗れば、後はどうなろうがね。 村瀬 お顔が売れているから、運転手に話し掛けられません? ヨネスケ 逆にね、僕は声掛けられる方がうれしいですけどね。タクシーは一つの空間でしょ。袖すり合うも他生の縁じゃないですか。「いつも見てますよ、『隣の晩ごはん』。あれ、打ち合わせあるんでしょ」とかね。話しているうちに目的地に着いちゃったりしてね。僕はしゃべり好きだから。 村瀬 そういうお人柄だから、ファンが多いんでしょうね。 ヨネスケ でもね、「バカヤロー」みたいなことも言いますよ。夏にね、クーラーがきいてないんだ。窓開けたら「閉めて下さいよ。私しゃ、神経痛です」。「だったら家で寝てろ、バカヤロ!」「降りて下さい」「ああ、降りてやらあ」。オレもセコイよね。金払わねぇで降りて。(笑) 村瀬 そういう人は教育が必要でしょうね。今はタクシーは運送業じゃなくて、サービス業なんですから。 ヨネスケ そうですよ。運送業なら、もっと道を覚えてほしい。いるんですよ。新宿で乗って、「帝国劇場まで」と言ったら、場所が分からないんだ。タクシーの運転手さんだけだよ、新人もベテランも同じ料金なのは。 村瀬 おっしゃるとおりですね。 ヨネスケ ベテランの人はちゃんと声掛けてくれたり、運転も余裕がある。安心して乗れるんですね。で、いろんな情報がもらえますしね。僕ら(ネタに)使えますからね。 村瀬 タクシーで忘れられないご経験はありますか。ヨネスケ 僕は面白いことがたくさんありますよ。運転手さんがね、「私、芸事が好きなんです。物まねをやるんですよ」って。「お、いいねぇ」「竹脇昌作やっていいですか」「ああ、いいよ」。やるんだ。「うまいねぇ」って言うと、「次、高橋圭三やっていいですか」「若山弦蔵いいですか」。もうね、乗ってから降りるまでずっと物まね。オレが金もらいたかった。(笑) 村瀬 似てたんですか。 ヨネスケ 結構、うまかったですよ。それからね、民謡を習ってるっていう人もいた。「聞きたいね」って言ったら、黒田節からはじまって、着くまでずっと民謡(笑)。あとは車の中に鯉(こい)の絵をびっしり貼っている人もいたね。自分で描いたの。で、「靴脱いで下さい」って、スリッパが置いてあって(笑)。そいで「この鯉がね」と、説明するんだ。(笑) 村瀬 今日は楽しいお話をありがとうございました。 よねすけ 1948(昭和23)年4月15日生まれ、千葉県出身。高校卒業後、桂米丸氏に弟子入り。67年デビュー、71年に二つ目、81年に真打ち昇進。「笑点」、「ザ!情報ツウ」の「突撃!隣の晩ごはん」などのテレビ番組の他、舞台「ヨネスケの単なる野球好き」をシリーズで続けるなど、ユニークな活動を展開。 HOME>INTERVIEW私のタクシー体験TOP |
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