この記事は2005年3月のものです。現在の内容と異なる場合がありますのでご了承ください。

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松田惠司(南部第2営業基地)
 タクシードライバーの業務に就いて15年になる。その間さまざまなお客さまと、シート越しの交流を楽しませていただいた。

 これは、と思う話は自然に頭の中に残る。だから1年目より2年目、3年目とどんどん引き出しの中身が増えていく。この仕事、古株になればなるほど、ほかならぬ自分自身も楽しめるのである。

 とはいえ盛り上がるお客さまばかりとは限らない。難儀なのは、小さなお子さま連れの場合。車の中でそわそわして、あげくに泣き出したり。目的地に到着するまで、お母さんはあやすのに手一杯。コミュニケーションどころではない。

 このちっちゃな乗客の機嫌を取り結ぶ手立てはないものだろうか。玩具を用意したりもしたが、案外効果は少ない。すぐに飽きて、またぐずつき始める。泣く子と地頭には勝てない。古いことわざの正しさを思い知らされたが、それがあるとき自宅で妙案を思いついたのである。家内が幼稚園児の娘を手人形であやしていたのを見たのがきっかけだった。

 人形を使って何かできないか。人形なら、さしずめ腹話術だ。テレビ番組でもカエルと牛の人形で受けている腹話術師がいる。

 で、さっそく試したのである。信号待ちを利用して、人形を手にかぶせ、うしろを向いて、子どもに話しかけた。効果は絶大だった。それまで泣きじゃくっていた子が、とたんに泣き止んだほどだ。 それに味をしめて、腹話術の修練に励むことになる。口や歯を動かさず、咽喉元から声を出すのが極意だが、そう簡単にはいかない。たゆまぬ訓練がいる。幸い、自宅には4歳の娘という辛らつな批評家がいるから、そのご機嫌をうかがいながら励んだのである。

 もともと大阪育ちで漫才めいたおしゃべりは得意だったから、ネタ作りも楽しみになった。

 「いよいよ春だね」すると人形の牛が「えっ、モウ」と、そんな具合。

 1年前には、助手席の背の自己紹介カードに、趣味は腹話術と書いた。それを見て最近では、お子さまばかりか、中年サラリーマンや若い女性客までがリクエストをしてくれ、大いに話が弾むのである。

 これから万博の期間中は全国から観光客が訪れる。名古屋は初めての子どもたちに、得意の芸が通用するかどうか。本番を控えた芸人のような気分でいる。



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