この記事は2006年9月のものです。現在の内容と異なる場合がありますのでご了承ください。

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横井川 隆治(南部第ニ営業基地)
 ドライバーに限った話ではないけれど、始終同じ姿勢を強いられる職業の大敵、これはもう運動不足に決まっている。

 27歳で名タクに入り30年たつが、8年目のころ、手ひどい腰痛に悩まされた。顔をしかめての乗降を繰り返していた。

 それがあるとき福音が訪れたのである。痛々しさを見かねたのかもしれない。社のマラソン部の人から、入部しないかと誘われたのだ。

 このマラソンが体質改善の第一歩、というよりその後の生活の一部になってしまったのだから、人生何が幸いするかわからない。

 マラソン部では月例会と称して、公園で数キロほどの駆け比べをする。入部早々の例会では、10人中のドンジリだった。

 情けないから練習に身を入れる。自宅の周囲を5キロほど。その効果はたいしたもので、当初は40分かかってふうふういってたのが、2年もたつと25分で走れるようになった。

 さあ、こうなると走るのが楽しくてならない。それまで仲間たちが話題にする各地のマラソン大会を、別世界のことと聞き流していたが、よし自分もという気になってくる。

 で40歳のとき、出場をした。名古屋シティマラソンの10キロコース。これは面白かった。1000人規模というけた外れの大人数で走るのが、これほど楽しいとは初めて知った。

 以後はエスカレートの一途となる。さまざまな大会に出るうち、いつかフルマラソンにと大望も芽生える。

 その夢は43歳の豊橋大会で実現させた。タイムは3時間40分だったが、完走できたことが、何にも勝る喜びだった。そのタイムも50歳でとうとう3時間を切るまでになった。

 今では年に3度は各地のレースに参加する。100キロのウルトラマラソンにも挑戦して完走したこともある。走るのが楽しくて仕方がないのである。近所でも評判で、練習していると子どもたちが一緒についてくる。

 座席の自己紹介カードにも、ゼッケン姿で風を切るわが雄姿の写真を載せてある。それに目をとめたお客さまが同好の士であれば、話題は盛り上がる一方だ。逆に運動不足気味の方なら、マラソンの効用について体験談を披露したりする。

 宣伝が効いたのか、走る楽しみに目覚めたお客さまも少なくない。おかげでこちらも熱が入る。実は国際大会のあの琵琶湖マラソン出場をと、ひそかにめざしているのだが、さて。



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