この記事は2006年12月のものです。現在の内容と異なる場合がありますのでご了承ください。

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井上 修(西部営業基地)
 子ども時分から星空の観察にのめりこんできた。とっかかりは小学1年のころ。名古屋近郊の母親の実家からは年中、天の川がくっきり見えた。ところがわずか数キロ離れた自分の街からはまったく見えなかった。なぜだろう。

 それがネオンや街灯の「光害」のせいと知ったとき、星の光が何やらとても貴重なものに思えてきた。以来、天文図鑑を片手に夜空を眺めることに夢中になったのである。

 星の光がチカチカまたたいて見えるのは、地球の気流の乱れのせいで、別段、星が勝手にまたたくわけじゃないことも知った。星の見えない夜は図鑑の月や土星の写真を見るだけで想像力が刺激され胸がときめいた。

 とりわけ惹かれたのは彗星、つまりほうき星だ。ほうき星というのは直径10キロほどの雪だるまみたいなもので太陽に近づくと表面が溶けてガスになる。そのガスがほうきみたいに尾を引くのである。

 24年前、ウエスト彗星が大接近したときは、庄内川の堤防で夜明けの天体ショーを興奮して見つめていたものだ。長い尾を引いて飛行する姿は、今まで見た中で一番明るいほうき星だった。

 天体観察は何も特別な場所に行く必要はない。名古屋から数十キロも離れればいい。そこには今でも天の川がきらめいている。

 だから夜更けにお客さまから「知多半島まで」と告げられようものなら、思わず小躍りしたくなる。とくに空気の澄む冬の星空は、ごちそうのフルコースなのだから。

 もちろんお客さまが同好の志なら大いに盛り上がる。一度、年配のご婦人から昭和34年の名古屋で見た皆既日食の体験談を聞き、うらやましくてならなかった。残念ながら生まれていなかったのである。次回日本での皆既日食は2009年の7月22日、屋久島と奄美大島が舞台となる。そのときはぜひこの目でと思っている。

 なんとも浮世ばなれした趣味だが、星の観察は実は精神衛生にとてもいい。

 たとえば北極星を眺めてみる。あの星の光が地球にとどくには千年かかる。すると今われわれが見ているのは千年も昔の北極星ということになる。

 つまり星を見るということは気の遠くなるような過去に思いをはせるということだ。

 人の一生は星のまたたき1回分にもならないと思うとどうだろう。くよくよ悩むのがばかばかしく思えてくるのだが……。



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