この記事は2006年12月のものです。現在の内容と異なる場合がありますのでご了承ください。
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聞き手(名鉄交通社長)
金子暁男 |
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創立50周年を迎えた日本モンキーセンターの所長・西田利貞さん。アフリカの野生チンパンジーなどの生態研究でも、これまで数多くの業績をあげられています。日本モンキーセンターの出資によるアフリカ学術調査の黎明期のお話しを、たっぷりお伺いしました。 金子 50周年おめでとうございます。記念の新しい施設ができたそうですね。 西田 ええ。モンキースクランブルといいまして、檻も柵もなく、テナガザル、クモザル、リスザルの3種類のサルが、人間の通路の上にある、うんていや吊り橋を自由に行き交う施設なんですよ。テナガザル、クモザルの施設としては世界最大級です。 金子 そうですか。先生とモンキーセンターとのご縁は、いつごろからなんですか。 西田 最初は大学4年のときです。三河湾に野島という無人島がありまして、モンキーセンターがタイワンザルを入れたんですね。その群れを研究するということで、モンキーセンターから3000円いただいたんです。研究費に。実際には野島でサツマイモを食べていましたので、お金は大してかからなかったんですけど(笑)。 金子 大学院ではニホンザル、その後はチンパンジーの研究をなさって。霊長類を専攻されたのは、何か動機がおありだったんですか。 西田 私は子どものときから昆虫少年で、カブトムシやカミキリムシなどをよく集めていたんですよ。それで大学も動物学に進んだのですが、2年のとき、モンキーセンターの第一次ゴリラ探検(アフリカ学術調査)が始まったんです。で、帰って来られた先生方の書かれた本を読みましたら、面白くて、「これは素晴らしい」と。 金子 なるほど。 西田 僕は未知の国に行きたかったんですね。アフリカとかアマゾンとか。しかしあの頃は外貨もなく、若者の外国旅行なんて考えられなかったのですが、「ゴリラを研究すれば行けるかもしれない」と。不純な動機ですね(笑)。 金子 最初にアフリカへお行きになったのが65年でしたか。最終的に、どこの国まで行かれたんですか。 西田 タンザニアです。タンガニーカ湖の近くに生息するチンパンジーを調査して、餌づけするというのが至上命題でした。その頃はダルエスサラームから、1300キロくらいを3日かけて汽車で行くんです。 金子 大変でしたね。 西田 いや〜、楽しい旅でしたよ。各駅停車で、止まるたびにニワトリやパンを売りに来て。キゴマという町に着きますと、そこから奥地までボートで十数時間かかるんです。だからアフリカでも、文明から隔離されている感じがしましたね。 金子 食べ物は困りませんでした? 西田 タンガニーカ湖は魚が豊富なんですよ。イワシとかスズキもいるんです。シクリッドという、タンガニーカ湖特産の魚も200種類くらい。うまい魚ですよ。 金子 かなり長いこといらっしゃったんですね。 西田 最初は1年9カ月いました。その頃はチンパンジーの社会の単位が分からなかったんですね。母子はいるけども、夫婦があるかどうか。それで、オスとメスで親しい関係にあるのはいないかということで、誰と誰が何分一緒にいたとか、そういう行動を調べたんです。 金子 ほう。 西田 結局、チンパンジーは30〜100頭くらいの群れという単位集団があって、オスとメスは特に繋がりがないというようなことが分かって。世界で初めて、チンパンジー社会の単位を明らかにしました。 金子 餌づけされるとき、どれがどれという個体識別はされるんでしょうね。西田 すぐ分かりますよ。ヒゲの長さとか、顔色とか。後ろ姿でも分かります。これまでに僕が名前をつけて記録したチンパンジーは、250頭くらいいますが、今でも200頭くらいは顔を覚えています。 金子 どんな名前をおつけになるんですか。 西田 いろいろですよ。最初に餌づけしたチンパンジーにつけた名前は、「カジャバラ」。トンガ語で「よく歩く人」という意味です。それは僕についたあだ名なんですよ(笑)。「カグバ」というのも僕のあだ名から。「食いしん坊」という意味なんです(笑)。 金子 チンパンジーも先生を識別できるんでしょうね。 西田 ええ。今は餌をやっていないんですけど、生まれたときから関わっている子どもは寄って来て、ズボンを引っ張ったりしますね。 金子 タンザニアでは、タクシーにお乗りになられましたか。 西田 乗りましたけど、最初に行った頃はひどい状態でしたね。フロントガラスなしで走っているのがあるんですよ(笑)。ドアが閉まらないし、メーターがない。だから料金が分からないんです。スワヒリ語がそれなりにしゃべれても、外国人と見れば高く言いますからね。 金子 今はどうですか。 西田 ほとんど日本製ですね。トヨタ。でもメーターはついてないです。 金子 向こうのタクシーで、印象深いご経験はおありですか。 西田 乗り合いの長距離タクシーが、ケニアにあったんですよ。71年でしたか。プジョーに6人くらい乗せるんです。で、すごいスピードで走って、それぞれの家まで連れて行ってくれる。僕はナイロビまで行きましたけど、12時間以上かかったかな。タクシーであんな長旅をしたのは空前絶後でした。 金子 日本のタクシーはいかがですか。嫌な思いをされたことなどは。 西田 タバコのにおいですね。僕は12年前までタバコを吸ってたんです、実は。でも肺活量が減ったので、10年かけて禁煙したんです。だから勝手な話なんですけど。 金子 私どもの会社では禁煙車を走らせていまして、ご好評をいただいております。 金子 我々がチンパンジーに教えられることも多いでしょうね。 西田 僕が子どもの頃は、年齢の異なる子どもが一緒に遊んだんですよ。年上の子がリーダーになって。そういうグループは、チンパンジー時代から、あるいは共通の先祖の時代からあったと思うんです。それが高度成長期のころから失われてきて。何百万年の歴史を持っていた遊び集団がなくなったことが、いじめとか、いろんな問題につながっていると思いますね。 金子 なるほど。 西田 チンパンジーは子どもが生まれたら、周りのメスが関心を持ってね。お母さんが病気になったら、引き取って面倒見たりするんですよ。そういう関係も日本ではなくなってしまって。非常に重要な社会構造が壊れてしまったと思いますね。 金子 おっしゃるとおりですね。今日は貴重なお話しをありがとうございました。 [にしだ・としさだ] 1941(昭和16)年3月3日生まれ、京都府出身。京都大学理学部博士課程修了後、東京大学助教授、京都大学教授などを歴任。2004年4月から日本モンキーセンター所長に。野生チンパンジーのほか、ピグミー・チンパンジーやアカコロブスなどについても研究。前日本霊長類学会会長。近著に「新しい教養のすすめ−生物学」(昭和堂)などがある。 HOME>INTERVIEW私のタクシー体験TOP |
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