
電車とバスと人々がのんびりと行き交う鶴舞交差点。左角に「シキシマパン」、その左隣に「(右から)名タク」と書いたひし形マークの看板が見えます。社屋からは出庫しようとしているかのT型フォード。当時の雰囲気がほのぼのと伝わってくる、戦前派には懐かしい一枚です。
とはいっても昭和12年7月といえば、7日に中国で盧溝橋事件が勃発。この七夕の日をきっかけに、日中戦争が始まり、その後、長い戦時の耐乏生活が続くことになりました。
名タクは当時、名鉄交通の前身である「名古屋タクシー自動車」の経営で、「名タク」のひし形マークとともに、顧客指向のサービスで好評をいただき、12年には200両のタクシーを市内に走らせていました。
しかし戦時統制下で石油資源が不足し、タクシーの流し営業は禁止されることに。翌年にはガソリンも配給制になり、やがて昭和16年の太平洋戦争開始によって、ハイヤー、タクシー、バスのガソリン使用は全面禁止。タクシーは木炭や薪、亜炭などの代用燃料でしのがざるを得ない時代に入ったのです。
(写真は名古屋市役所提供)
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