この記事は2007年3月のものです。現在の内容と異なる場合がありますのでご了承ください。

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 「長崎の実家近くに芸能活動をしている方がいて、子供の頃、その人の家に遊びに行っているうちに、ドラムに夢中になってしまったんですよ」

 昔を懐かしむように、そう語るのは乗務歴6年の中堅営業係、久村貞幸さん(57歳)です。

 きっかけは小学校の鼓笛隊で、小太鼓を担当してから。どの楽器よりかっこよく、おなかに響く音の迫力にすっかり魅了されてしまったのだそうです。

 幸い久村さんの家庭は、お母さんが三味線の名手で、お父さんが評判の歌好きという音楽一家。「そんなに好きなら」と、中学1年から個人レッスンに通わせてくれたのです。

 「子供が本気で何をやりたがっているか、子供のことをよく見ていてくれたのですね。それで子供の才能というか可能性の芽をつぶさないように、見守ってくれた。親には本当に感謝しています。」

 昭和30年代後半のころですから、ドラムはかなり珍しい存在だったと思われます。
 歌謡界では男性トリオのスリーファンキーズが活躍し、映画界では石原裕次郎がドラムを叩いて熱狂的なブームを巻き起こし始めた頃です。

 習い始めて1年経たないうちにステージデビュー。「とてもうまいとはいえませんが、子供にしてはよくやっているなと、お客様の拍手に温かさを感じたのを覚えています」

 それが励みとなって、ますます精進。学校卒業と同時にプロとして採用され、一時期演奏活動をしていたこともあったそうです。ただ音楽で食べていくのは、今以上に難しかったよう。結婚を機にドラムは趣味と決めました。

 今は自宅に練習場を作り、休みの日は思う存分ドラム三昧。そして昔の久村さんがそうであったように、ドラムの好きな子供たちがしょっちゅう遊びに来ていて、自宅はいつもににぎやか。暇があれば教えたりもします。

 「教えるということは一方通行ではなく、私は子供たちからエネルギーをもらっている。それが楽しいですね」

 上達の秘訣は「ただひたすらに一生懸命練習すること」だとか。打楽器はどこでも練習できるからと、軽やかに指でテーブルを叩き始めます。

 「仕事も同じ。どうしたらうまく成績を上げることができるか。漠然と車を走らせるのではなく、一生懸命に考えるから成長があるのだと思っています」と、趣味も仕事も前向きな久村さんでした。



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