この記事は1998年9月のものです。現在の内容と異なる場合がありますのでご了承ください。

 

バックミラー

献血は人のためならず

飯野 誠(西部営業基地)

 

 

 

 

 献血を始めて10年になる。大威張りで言うほどの理由からではない。成人式を済ませて間もない頃だったから、「節目」への、まあ自分なりの意味づけといった程度。以来、月2回のペースで続け、この夏には、260回目を数えることになった。

 知らない方は驚くかもしれないが、別に無茶なペースではない。献血には2種類がある。一般適なのは「全血」で、これは輸血用の採血。そのまま血液を提供するから、月1回が限度となる。もう一つは「成分献血」で、血小板など血液中の成分だけを分離させて抜き取る方法。採血時間は長くなるが、人体への負担は軽くて済む。私はもっぱら後者なので、回数も増えるのである。それに血小板献血では図書券やら文具やら実用品がいっぱいいただける。最初はそれも楽しみで、献血ルームへ出掛けていたようなものだ。

 ところがあるとき、気持ちが変化した。たまたま読んだ『いのち煌めいて』(中日新聞社刊)がきっかけだった。白血病のため21歳で亡くなった中堀由希子さんの闘病の物語である。

 衝撃は生々しかった。何かせずにはいられなくなった。で、考えた末、骨髄バンクのドナー登録をさせてもらった。骨髄は血液と違って、適合する比率がとても低い。だから提供者が増えるほど、患者さんの救われる可能性は高まっていく。登録後、ほどなく自分と適合する患者さんが見つかったのだから、可能性の重さをなおさら感ぜずにはいられない。

 タクシー業務中、こんなことがあった。マスクをした年配の女性が乗ってこられたのだ。風邪ですかと聞いたら、なんとお子さんが骨髄移植を受ける当日だとおっしやる。マスクは病院からの指示だったのだ。もちろんドナー登録の話をした。そのお客さまは「身近にそんな人がいるなんて」と驚き、涙ぐみながら喜ばれていた。

 私のドナーとしての骨髄移植も無事に済んだ。患者さんからも(匿名で)礼状が届けられた。

 こうした他人の役に立つことも大きな感慨だが、献血や骨髄ドナーは、実は日常にもとてもいい影響がある。性質上、自分の健康保持が第一条件だけに、睡眠や食事、そして職業柄、車の運転には人一倍の注意を払うようになる。献血は人のためならず。ほかでもない、自分自身に一番役立っているのである。