この記事は1999年3月のものです。現在の内容と異なる場合がありますのでご了承ください。

NTERIVIEW 私のタクシー体験

 

エッセイスト

内藤洋子さん

聞き手

名鉄交通会長 村手光彦

ないとう・ようこ

1949年名古屋市中村区出身。県立中村高校卒業後、警察職員、レストラン経営などを経て、文筆業に。今年1月、6作目の著書「ココロはいつもわはは色」が発売に。講演は年間約100回。岩倉市在住。弟の平野謙さんは、現在千葉ロッテ2軍監督。

落ち込んでいたとき運転手さんに励まされ

すっかり元気にになりました。

 NHKのドラマ新銀河「ようこそ青春金物店」(96年放送)の原作者・内藤洋子さん。幼いとき両親を亡くし、姉弟で残された店を続けながら、やがて弟は中日ドラゴンズ・平野謙外野手として活躍することに―。原作本「わが故郷は平野金物店」は今も読み継がれ、講演依頼も絶えない。その半生からタクシー体験までをたっぷり伺った。

電話料金を払えなくなり「もうダメだ」と。

 村手 「わが故郷は―」の本、読ませていただきました。引きずり込まれるような文章で、とても気持ちのいい本だなァと。

 内藤 ありがとうございます。

 村手 ご両親を亡くされてから、弟さんとお二人で金物店を続けられて、ご苦労なさったそうですけど。一番困ったことというと、何だったんでしょう。

 内藤 お金ですね、やっばり。私が20歳、弟が中3のとき、近くにスーパーができまして、売り上げが1日1000円くらいに落ちたんですね。利益が100〜200円くらい。店をこれ以上続けていても、見通しは暗い。そのとき相談する大人がいないというのが、本当に困りましたね。

 村手 それはそうでしょうね−。

 内藤 いよいよダメだと思ったのが、電話料金を払えなくなったときです。もう店を売るしかないと。電話は公衆電話がありますけど、電気と水道を止められたら、死んでしまうと思いましたので。

 村手 なるほど。

 内藤 それであるとき、二人で家の権利書を見つけましてね。「これがお金になる」と思ったんですね。で、「どこへ持っていったらお金に替わるだろう」「役所かな」と‥‥。(笑い)

 村手 ほお。

 内藤 次の日は不動産屋探しですよ。自転車で。中村警察の前にさしかかってふと見ましたら、大きな不動産屋があったんです。警察の前なら、悪いことはできないだろうと(笑い)。勘が当たりまして、いい社長さんで、すぐ売れました。そのお金の半分で犬山に家を買い、半分を弟の学費にあてたんです。

「野球を辞めたい」という弟を救ったのは、父の手紙。

 村手 平野選手は中日ドラゴンズ時代、僕もテレビでよくお見受けしました。プロに入られるまでには、大変なご努力もおありだったでしょうね。

 内藤 野球に関しては犬山に移ってから、道が開けていったという感じがします。犬山高校、名古屋商科大学とチャンスに恵まれて。むしろプロに入って、2軍で3年目のときですね。「辞めたい」と言い出しまして。あのときが別れ道だったと思います。

 村手 そんなことがおありだったんですか。

 内藤 ええ。私が「貫き通さなきゃ」と言っても、「そんな甘い世界じゃない、全員が天才なんだ」と。こんなとき親だったらどうするんだろうと思ったとき、父親の残してくれた手紙を思い出しまして、見せたんです。そこに「人を憎まず、自分を見捨てず、幸せな幸せな一生を送って下さい」とあったんですね。

 村手 ほおお。

 内藤 それから生まれ変わりましてね。ピッチャーを諦め、スイッチヒツターとして無我夢中で練習を重ねまして、ようやく認めていただくように―。

タクシーは地域の顔ですね。

 村手 今は講演で地方へもよくお出かけになるそうですけど、タクシーで印象的な体験はございませんか。

 内藤 静岡の高校に講演会で呼んでいただいたとき、帰りにタクシーに乗ったんですけどね。その日の講演で、全く聞く姿勢がない生徒さんを注意したんです。これが後味の悪いものでしてね。その子が後で何か言われるんじゃないだろうかとか、いろいろ考えながら帰るわけです。

 村手 なるほど。

 内藤 そうしましたら運転手さんが気配を鋭く察知されたようでして、「お疲れさまでした」と。浜松名所とか、浜松が生んだヤマハ楽器の創立者のお話ですとかね。ユーモアたっぶりにお話してくださいまして、すっかり元気になりました。そういう触れ合いはありがたいですね−。

 村手 いい運転手さんだったんですね。

 内藤 そうかと思うと、山口県岩国市では、主催者の方が「タクシーで来てください」と言われたものですから、駅前からタクシーに乗ったんですけどね。「こんな近くで乗る人は見たことない!」と言われまして。曲がり角でものすごい勢いでハンドルを切られまして、体をドアに思い切りぶつけてしまいました。あれは怖かったですね―。そうしますとね、県単位になっちゃうんですね、印象が。「山口県は冷たいところだ」と(笑い)。やっぱり地域の顔なんですね、タクシーは。

弾んだ声はドミソの「ミ」から。

 村手 お気持ちはよく分かります。ですから私どもも名・古屋のタクシー全体がよくなるようにということで、努力しているつもりなんですけどね。

 内藤 そうでしょうね。名タクさんは私もよく利用させていただいています。安心できるんですね、あのカラーが。で、最初に自己紹介をしてくださいますね。それも弾んだ明るい声で言われるんです。それが教育が行き届いていらっしやるし、また運転手さんの意識も高いと、いつも思うんです。

 村手 ありがとうございます。しかし弾んだ声が100%実行できているかといいますと、なかなか難しいところがございまして‥‥。

 内藤 物の本で読みましたら、ドミソの「ミ」の音から声を発すると、印象のいい弾んだ声になるらしいですね。ですから私も、第一声は「ミ」と心掛けているつもりで。

 村手 ほお。それはいいことを伺いました。

「顔施は何よりの宝です」と、夫の父が。

 内藤 最近は女性の運転手さんも増えましたよね。なかなかソフトな感じで、話しやすくていいですね。

 村手 そういうお声も多いもんですから、遠くからでも女性とわかるようにしようという意見があるんですよ。屋根にバラの造花をつけるとか。(笑い)

 内藤 それから下りるとき、こちらに顔を向けてニコッとしてくださると、またうれしいですね。毎回やっていると、首が痛くなってしまうかもしれませんけれど。(笑い)

 村手 それだけで気持ちがいいですからね。

 内藤 そうなんです。顔施(がんせ)、顔の施しという仏教用語がありますよね。私はこれを夫の父(住職さん)に教わったんです。初めて夫の両親に紹介されて、結婚の話になるわけですね。でも私は両親がいないし、財産もない。とにかく身一つなんですけどいいですかと、聞いてみたんです。そうしましたら、あなたは家の玄関を入ったときからニコニコしてた。それは顔施だ。お金よりも教育よりも、顔施は何よりの宝だ。これ以上の何がいりますかと、言われたんです。私は胸が一杯になりまして、この言葉を一生忘れまいと―。

 村手 いいお話ですね。内藤先生のお人柄がよく分かるような気がします。今日はお忙しいところ、ありがとうございました。