この記事は1999年6月のものです。現在の内容と異なる場合がありますのでご了承ください。

 
バックミラー

畳一枚分の忘れ物!

竹内 保資(中川営業基地)

 
 タクシーでの忘れ物。目立って増えたのは携帯電話だが、ついうっかり、という点では、これは納得しやすい。逆に、はてな?と首を傾げたくなる置土産もある。入れ歯など、その筆頭だろう。土砂降りなのに傘を座席に忘れたまま駆け出していったお客様もいる。小さなお子さんを置いて、そのまま降りてしまったお母さんもいた。

 これまでに忘れ物として扱った中で、いちばん大きなものといえば、油絵だ。畳一畳ほどもある大作。そんなに目立つものをと、あきれられるかもしれないが、これには少し事情があった。

 深夜の繁華街でアベックのお客様が、畳のような荷物とともに乗ってこられたのである。男性は大学教授風の穏やかな初老の紳士。行きつけの店の若い女性を送りながらのご帰宅だ。シーツみたいな布で包んだ荷物はトランクには入りきらない。後部座席にもやっとというところ。二人がかりでドアから押し込み、お二人には背もたれと荷物の間に潜り込んでいただいた。

 「どう思います、運転手さん」

 背中越しに紳士が話しかけてきたのは女性を降ろしたあとのことだ。やっと人心地がついたという風に、笑いながら、包みを解き、中身を披露してくれたのである。それは油絵だった。森を背景に一人の少女が佇んでいる、淡い色調のメルヘンぽいタッチだった。先程の女性が描いたそうだ。まだまだ習作の段階だが、何しろでかいから力作には違いない。

 「プレゼントされたのだけど、持ち帰ると要らざる家庭争議の火元になりそうでね」と厄介なお荷物を背負いこんだお客様は思案投首である。そこで助け船を出したというわけだ。営業基地で保管しましょう。折りをみて受け取りにきてくださいと。

 基地には事情を言わずに、忘れ物として提出した。担当者のあきれ顔が今でも目に浮かぶ。(気が付かないとは)君の目は節穴か、なんてさんざん皮肉を言われたものだ。まあ、夫婦の危機を救ったのだからと、こちらはニヤニヤして聞き流したけれど。

 数日後、その力作は持ち主のもとへ返った。胸をなで下ろしたのはそのときである。保管が長引いたらどうしようと、実は心配だったのだ。場所もふさぐし、何より作者の面目が立たないんじゃないか。画廊とは似ても似つかぬ、遺失物倉庫の片隅ではねえ。