この記事は2001年12月のものです。現在の内容と異なる場合がありますのでご了承ください。

私のタクシー体験

名古屋港水族館館長
内田 至さん

聞き手
名鉄交通社長 大島 弘

うちだいたる

東京都出身。東京水産大学生態学講座助手を経て姫路市立水族館館長。90年から現職。国際自然保護連盟のウミガメ専門部会委員。著書に「ウミガメの大洋航海」「こうら」他。

11月1日に新館がオープンした名古屋港水族館。これまでもウミガメの飼育などで注目を集めていたが、さらにイルカなどの鯨類にもふれられる魅力満点の施設になった。その館長の内田至さんは、ウミガメの研究がご専門。生命への温かい観察眼で、名タクもお褒めいただいて…。

子供のころ乗ったタクシーのウインカーは、ネクタイの形でした。

鯨の祖先は昔、陸上を歩いていた

 大島 新館オープン、おめでとうございます。テーマが「35億年はるかなる旅〜ふたたび海へ戻った動物たち」。35億年前に、生物がいたんですね。

 内田 そうですね。地球上に生命が誕生してそのくらいの時間が経過しているということです。その過程で私は、動物たちは二度の大きな選択をしたと思うんです。

 大島 といいますと?

 内田 まず水から出て陸に上陸してきたこと。35億年前の原始生命は多分、水の中で生まれた単細胞の生物だったと思われます。それがだんだん複雑になり、肺で呼吸する魚が出てきて、陸に上がってきた。それが今日の人間に繋がったんですね。その後、陸上で進化した哺乳類のなかからもう一度、海に戻った生物がいるんです。それが鯨(くじら)なんですよ。

 大島 鯨の先祖は陸に上がって、また海に戻ったわけですね。

 内田 進化の道筋からいえばそうです。鯨の祖先は海に戻ってから5500万年くらい経つんですけど、その間の時間と環境が、海辺を四本足で歩いていた哺乳動物を流線形の鯨に変えてしまったんですね。

カメは2億年前から今の姿に。

 大島 気の遠くなるような時間ですね。

 内田 人間の歴史を、類人猿とほとんど区別がつかないところまでさかのぼっても、300〜400万年くらいでしょうか。それに比べますと、途方もない時間ですね。カメはも っと長いんです。2億年くらい前から生命を紡いできましたからね。

 大島 カメは鯨みたいに進化しなかったんですか。

 内田 あの形はあまり変わらなかったんです。出てきたのは2億年くらい前ですけど、その頃にはもう現在のカメの形になっていたんです。早い時期に完全な武装みたいなものを手に入れてしまったから。だからモデルチェンジする必要が余りなかったんだと思われます。

 大島 そういう生物は珍しいんですか。

 内田 いわゆる生きている化石と呼ばれる生物がそうですが珍しいです。ただ現代はカメが産卵のため夏の夜、海岸に上がってくると、花火をやっていたり、4WDを乗り回したり…。そういうことは、彼らの進化の歴史中ではなかったわけですよ。そのうえに海中を漂うプラスチックなども、あれば食べちゃうんです。餌と間違えて。彼らの生存してきた時間と環境から考えると、かつて海の中のものは何でも食べられたんですよ。それがここわずか50年くらいの間に人間が造り出したプラスチックなどの高分子化合物が海に流れ出る。それを食べて死んでしまうものもいます。

 大島 人類というのは随分、罪悪を犯しているんですね。

 内田 ええ。気配りをしないと。地球上にいるのは人間だけじゃないので。地球の歴史からみたら人類が出てきたのはほんの瞬間といってもいい時間ですよね。

水族館の中でウミガメを繁殖させるのが夢でした。

 大島 館長さんはカメの研究がご専門だそうですね。内容を、私ども素人にも分りやすくお教えいただけますか。

 内田 海には現在、太平洋、大西洋、インド洋あわせて全部で8種類のウミガメがいるんですね。それが全部、絶滅の傾向にあると言われてるんです。で、私は日本に卵を産みに来るアカウミガメを40年近く研究してきまして、これは浦島太郎を乗せたカメだろうと思っているんですけどね。絶滅から救うために繁殖をさせるというのが、長年の夢だったんです。水族館などの建物の中で砂場と海を作り、夏になるとそこで産卵すると。それがこの水族館で6年くらい前に実現したんです。これは世界で初めてのことなんですよ。

 大島 ほおお。

 内田 ですから今はその技術を他のカメにも応用できるようにしたいと考えているんですよ。

 大島 なるほど。

 内田 それから日本で生まれたカメがどこに行くのか、まだよく分ってないんですよ。太平洋で育って、どうも米国の西海岸の方へ行くみたいで。その経路を調べるため、ここで育ったカメを放流しているんです。

 大島 なさりたいことは山ほどあるんですね。

 内田 そうですね。カメの研究は大変なんですよ。5月から9月くらいの間はずっと、人が寝静まるころに海岸に行って、翌朝まで起きて観察しているわけですよ。そんなことを長年やっていますとね。子どもがいつ大きくなったのかも…。(笑)

名タクの自己紹介は、お話しするキッカケになっていいですね。

 大島 国内外でタクシーにお乗りになる機会も多いと思いますが、何か印象深いご経験はおありですか。

 内田 私の父は戦前、ずっと米国で生活していまして向こうでタクシーに乗ったりしてたんでしょうね。私は東京で育ったんですけど、遊びに行ったりするとき、よくタクシーに乗せてもらったんですよ。

 大島 ほう。

 内田 鮮明に覚えているのは、タクシーが曲がるとき、今はウインカーが出ますね。あのころは細長い、ネクタイのような形をしたものが、ケースからバッと出るんですね。カシ ャカシャとか音を立てて。確か赤い色をしていたと思うんですけど。

 大島 私も記憶があります。剣の先のような。

 内田 あ、そうです。昭和10年代の初めだったと思うんですけど。僕が5歳くらいのときです。懐かしいですね。

 大島 今は名古屋でタクシーをご利用になることもおありですか。

 内田 しょっちゅうです。名タクは乗るときに必ず、名前をおっし ゃいますでしょ。あれは非常にいいですね。お話しするきっかけができるんですよ。例えば外国から帰ってくると、「ここ1週間の天気、どうだった?」とか、聞けますよね。それからご趣味が書いてあるんですね。私は昔からよく山に登ったんですけど、ご趣味に「山登り」とか「アウトドアー」と書いてあると、「どのへんの山に登っているんですか」とか。あれも面白いですね。

世界最大級の観察窓で水中の様子をじっくりと

 大島 新館は、新しい試みがいろいろあるそうですね。

 内田 前の水族館(南館)と新館(北館)を合わせると、世界で最大級の規模になるんですよ。単体としては。で、鯨類は1日のうち95%は水の中にいるんですね。ですから水の中の様子をよく見せたいということで、巨大プールと水中観察窓を設け、ご覧いただくフロアも400人が入れます。これらは全部、世界最大級なんですよ。スタンドは3000人収容できます。

 大島 ほお。

 内田 それから鮮明な大型ハイビジョン映像装置を入れまして、パフォーマンスしている動物の姿はもちろん、水中の様子も紹介しています。これらは今後、世界の水族館の鯨の見せ方の参考にされるかもしれません。

 大島 私どもも十分に楽しませていただきます。今日はありがとうございました。