この記事は2002年6月のものです。現在の内容と異なる場合がありますのでご了承ください。

菱形つれづれ

「虫歯のひとつも」

名鉄交通取締役相談役
村手光彦

 お客さまを”おもてなしの心”で迎えたい。こう考えるわが社では、乗務員を「営業係」と呼び、制服もホテルのサーバントにちなんだ紺スーツに蝶ネクタイと定めています。また自己紹介にはじまる「接遇の言葉」をいくつか決め、20年来、義務付けてきました。

 このことが評価されてJMAサービス優秀賞(本賞)をいただくことができたわけですが、その審査員である立教大学の前田勇教授から、接客について興味深いお話を伺ったことがあります。

 お客さまを気持ちよくお迎えするいい制服の原点は、いとう呉服店(現松坂屋)の、質素だけれども糊の利いた紺縞の着物にある、と。

 後に書物で見る機会があったのですが、華美ではいけない、常に清潔で見苦しくない風さいを整えよ、という心得とともに、帯まできちんと指定されていました。同店でこれを決めたのは大正2年のことで、当時では相当厳しい規定だったようです。この接客の精神が、今日に続く松坂屋ブランドを築いたわけです。

 もうひとつ、接客について印象に残るお話があります。本紙インタビューで江戸風俗研究家の杉浦日向子さんにお伺いしたものです。

 江戸の町でタクシーに最も近かったのは猪牙船(ちょきぶね)で、粋な使われ方をされたため、船頭さんによる歌のサービスなどもあったそうです。なかでも柳橋周辺にあった船宿はお客さまも上質であるため、船頭になるための条件が大変に厳しい。まず美男で、粋な会話ができ、笑顔がよく、歯が白いこと。虫歯があってもだめだと。

 確かにこれは接客者の理想像でしょう。しかし顔の美醜は好みもあるのでさておくとして、虫歯ひとつもだめとなると、名タク乗務員のうち何人がパスできることやら。せめて毎朝の歯磨きを10分以上、とでも義務付けることにしましょうか。