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犬山に生まれ育ち、物心ついたころには犬山祭のとりこになっていた。
犬山の車山(犬山では「だし」を車山と書いて「やま」と呼ぶ)は13台あり、全部がからくり人形を演ずることでは全国でも有数である。
車山はすべて木組みで3層になっていて、赤い幕と水引で飾られる1層目は下山(したやま)といって、お囃子をするところだ。幼稚園から小学生くらいの子供数人が、背中いっぱいに金糸で刺繍された金襦袢(今ではン百万円もする)姿で、太鼓を叩き、傍らで4、5人の若衆(わかいしゅう)が笛を吹く。
祭りは4月初旬にある。3月ともなれば夜には各町内の廻所場(かいしょば・お囃子の稽古をする所)から笛・太鼓の音が流れてきて、じっとしてはいられない。
祭りは場馴(ばならし)といって、町内で車山を動かすことから始まり、試楽祭、本楽祭と続く。試楽、本楽では早朝から針綱神社に13台が勢揃いし、からくりを奉納してから、町の中に繰り出していく。夜には三百数十個の提灯をつけた車山が桜の木の下を練り歩き、幼心には別世界のものに映った。
私は小学校に入る前から下山で太鼓を叩いた。親が仕立ててくれた晴れ姿で車山に揺られ、もちろん悪い気はしなかった。が、それ以上に、大人の吹く笛の音に魅せられていった。絢爛たる車山もからくり人形もそれだけでは無味乾燥、笛によって初めて生命を吹き込まれるのである。
お囃子は神社へ曳き込むとき、からくりを演じるときなど、状況によって8、9曲を使い分けている。私は祭りの間にすべての曲を必死になって頭に叩き込み、次の祭りがくるまでの1年間、余韻に浸った。
20歳のころ初めて笛を手にしてから、若衆の一員として10年ほど務めさせていただいた。その後は笛全般に興味が広がり、能や狂言、歌舞伎なども観たり聴いたりするようになった。心が沈んだとき、笛の調べを聴いて勇気づけられたことも何度かある。今でも笛を吹くたび、少年のころ心に焼きついた祭りの状景が、鮮やかに蘇ってくるのだ。 |
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