この記事は2006年3月のものです。現在の内容と異なる場合がありますのでご了承ください。

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森本 良治(南部第1営業基地)
 中学、高校時代は柔道一直線だった。国体にも出場し、ゆくゆくはオリンピックへとの意気に燃えた。

 競技人口の少ないレスリングに転向し自衛隊体育学校に進んだのも夢をかなえるためだった。

 けれども世の中、上には上がある。結局、五輪の夢は涙を飲み、その代わり、もう一つの夢を追った。学生時代からあこがれていた海外旅行の実践である。オリンピックと違って、こちらのほうはパスポートと行動力があればかなえられる。

 自衛官時代の休暇はほとんど海外見て歩きに費やした。アジア、ヨーロッパ、アフリカ、北アメリカとリュックを肩に、それこそ風の吹くままに歩き回った。飛行機より自前の足で国境を越えるのが性に合った。

 国境の橋ひとつ越えただけで、風景はもちろん空気までもが一変する。その町の居心地のよさは空気が教えてくれるのである。

 で、とりわけ気に入ったのがタイの空気だったということになる。出会った人たちはみんな大らかで人懐っこい。食事もおいしいし、値段も安い。

 気に入って何度も訪れるうち彼らと親交が生まれる。やがて「微笑みの国」の微笑みにすっかり魅了され、語学学校でタイ語とラオス語を修得することになる。
 4年前には矢も盾もたまらなくなり、自衛官を辞めてタイで1年間暮らしてしまった。生活費は観光地プーケットでガイドをして稼いだ。

 プーケットの海は透きとおるようなブルー。その美しさに惹かれ、世界中から観光客が訪れる。日本人ガイドは珍しいから、日本からの旅行者には引っ張りだこ。多忙ながら充実した1年だった。

 帰国して現職に就いたが、かの地での体験は、今も役立っている。海外旅行を計画中のお客さまは多いから、旅の話題には事欠かない。で、折にふれタイの良さを知っていただこうとPRにこれ務めているのである。興味をもたれたお客さまにはタイの絵葉書やアクセサリーをプレゼントして大いに喜ばれている。

 現地の友人ネットワークを活かして旅行の手配をお手伝いしたこともある。後日、内容の濃い観光だったと感謝されたときは、紹介しがいがあったとうれしくなった。

 これからも旅を媒介に、乗ってよかったと言われる営業を心がけたい。とっておきの「微笑み」ももちろん忘れずに。



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