この記事は2006年6月のものです。現在の内容と異なる場合がありますのでご了承ください。

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聞き手(名鉄交通社長)
金子暁男

戯曲、小説、エッセイなどを執筆するかたわら、舞台の演出や劇作家養成講座なども手がける北村想さん。今年4月からは滋賀県にある「しが県民芸術創造館」の館長にも就任された。エネルギッシュな創作活動を支えるのは、ケタ外れの読書量と、タクシーに乗っても忘れない情報収集・・?


金子 私は以前から先生のご活躍を存じあげておりまして、ぜひ一度お会いしたいと思っていました。
北村 僕はね、タクシーにはよくお世話になっているんですよ。というのは運転免許を持っていないので、車に乗らないんです。18歳のときに挑戦したんですけど、ダメでしたね。だから車の運転ができる人は、尊敬しているんですよ。
金子 私どもにとっては、大変ありがたいお客さまですね。
北村 僕はタクシーに乗って、運転手さんと話すのが面白いんです。皆さん、いろんな人生を変遷して。
金子 そうですね。
北村 一番記憶に残っているのが、休憩時間のとき、必ず決まった公園で車を止めるという人。「何でですか」と聞くとね。「一日中、タクシーに乗っていると、土の感触を忘れてしまうんです」と。土と落ち葉の感触を思い出すため、公園に行って散歩するんだそうです。
金子 なるほど。
北村 偉い学者の方の書かれた本を読むよりも、運転手さんの方が本当の情報を知ってらっしゃることが多いんですね。景気でも、浮き沈みはタクシーに影響してきますから、すぐ分かりますよ。名古屋は景気がいいといっても、マスコミがかなり膨張剤を入れているだけで。
金子 確かに私どもは、まだ実感はないですね。
北村 数値は向上しているんですけど、それは工業生産なんです。サービス業までは、まだおりてきてないですね。で、そういうことから話をしていきますと、愛知県でお生まれになった方はまずいらっしゃらない。「沖縄から来ました」とかね。
金子 私どもは2千名の乗務員がいますけど、全国から来ています。だから一緒に飲むと結構、楽しいんですよ。お国自慢が出たりして。
北村 本当にいろんな方がいらっしゃいますね。僕としては、疲れているときは疲れているなりに、少しは話をしていただいた方がありがたいです。社交辞令でもね。「そうですねー」とか言いながら。

金子 演劇の世界にお入りになったきっかけは、何だったんですか。
北村 たまたま高校時代の友人が、中京大学の演劇部にいたので、なりゆきですね。それで21歳のとき、人生の岐路といいますか。小さな出版社に勤めたんですけど、そこでやっていくか、人生を棒に振って演劇をやるか、考えたんですね。で、人生を棒に振る方に決めたんです。(笑)
金子 そうですか。
北村 それから30何年間、演劇をやってますけど、運がよかったんですね。これまでやってこられたのは。僕は人生というのは、運と縁だと思ってるんですよ。
金子 なるほど。
北村 僕の場合は高校を卒業しても、学びたいこともなかったし、やりたい仕事もなかったし、何をやって生きていけばいいのか、全然分かんなかったんですよ。そういうときに演劇があって、「非常に面白いおもちゃがあるな。これで遊んでいけばいいな」と。だから僕は、さまざまな仕事を経験しています。
金子 フリーターの元祖だとおっしゃっていますね。
北村 今でもフリーターですね(笑)。確定申告には著述業と書きますけど、滋賀県の「しが県民芸術創造館」の館長なんていうのは、非常勤の嘱託の扱いなんです。内閣府のカテゴリーで考えると、フリーターなんですよ。(笑)

金子 戯曲をお書きになるときは、どうやってお話を組み立てていかれるんですか。
北村 戯曲は依頼される方に条件があるんですよ。「役者は5人で」とか、おおまかな題材とか。で、出演者の顔ぶれで、「どんな話ができるかな」と。だいたいモチベーションとキャラクターで書いちゃいます。
金子 じゃあ日頃は、気のついたことを書き留めて・・?
北村 それはあります。メモ魔です。机にいっぱいあります。本でも読んでいて、いいことが書いてあると、付せんをパッと。僕は昔から、一度に10冊以上読んでいるんですね。そうするとインターネットのリンクと一緒で、どこかがつながってくるんです。
金子 やっぱり頭の構造が違うんですね。舞台のスタッフなどは、そのときどきで相談して決められるんですか。
北村 僕は外で仕事をするときは、常に「北村組」ということで、集めるスタッフを決めているんです。
金子 気心の分かっている人をと。
北村 そうです。映画もそうですね。見れば一目瞭然です。この映画は、監督の要望が分かっているスタッフが作っているのか、寄せ集めなのかは。「北村組」でやると、打ち合わせをほとんどしなくていいんです。
金子 「ここでスポットを」という演出家の思いも、お分かりになるわけですね。
北村 ええ。リハーサルを見ていますね。黄色い月が出ている。「次のシーンで青くなってくれるといいんだがな」と思っていると、青くなるんです。照明家は分かっているんですね。僕がそう思うだろうということを。
金子 すばらしいスタッフですね。
北村 スタッフ全部そうです。僕がやりたいと思った通りのものをもってきますから。そうすると仕事が早くできます。これは現場では一番大切です。だらだら仕事していると、いいものはできない。で、事故が起きます。人間が緊張できる時間は限られていますから。僕は2時間以上はやらないんです。

金子 秋には、映画にお出になるそうですね。
北村 はい。「天使の卵」という映画で、主人公の父親役です。
金子 映画はこれまでも何度か・・?
北村 市川準監督の「トキワ荘の青春」(平成7年)という映画で、手塚治虫さんの役で出ました。ベレー帽被ってメガネかけると、若いときの手塚さんに容貌がそっくりらしいんですよ。口調もよく似ているらしいんです。で、奥さんがご覧になって、あまりにそっくりなので、号泣されたそうですよ。
金子 ほう。ご自身は、漫画家になろうとは思われなかったんですか。
北村 高校を卒業するまでは、漫画家になろうと思っていたんですよ。でもね、漫画はヘタだということに気がついたんですね。(笑)
金子 今日は楽しいお話をありがとうございました。今後のご活躍に期待しています。


きたむら・そう
1952年7月、滋賀県大津市生まれ。滋賀県立石山高等学校卒業後、名古屋へ。1979年、主宰する「TPO師★団」で「寿歌」(作・演出)を初演。劇団「彗星’86」「プロジェクト・ナビ」の代表を務めた後、劇団を終了。現在は戯曲や小説を執筆するほか兵庫県で劇作家育成クラスの講師も。第28回岸田國士(きしだくにお)戯曲賞をはじめ受賞多数。名古屋市在住。


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